上杉謙信の女性説とは?塩・義の名言の意味は?辞世の句は?

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「越後の龍」「越後の虎」という異名を持つ上杉謙信。

戦国時代では相手を裏切って滅ぼすことが当たり前の「不義」の世の中でしたが、上杉謙信は「義」を重んじ、敵であっても裏切りや卑怯な手段は使いませんでした。

上杉謙信の女性説とは?

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生涯独身を貫き通していた

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上杉謙信は生涯独身を貫いたので、上杉謙信の子供はいません。

養子をもらったとも言われています。

障害通して異性と交わらなかったとも言われています。

その理由は女性だったからと言われています。

仏教上の五戒の契約の一つである邪淫戒を守りましたが、女性だったから守れたのかもしれません。

上杉謙信の肖像画は江戸時代に書かれた

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上杉謙信の肖像画はひげをたくわえ、武骨で荒々しいイメージがあります。

しかし、この肖像画は江戸時代の画家がイメージで、描いたものとされています。

戦国時代に描かれたものではないんですね。

毎月起こしていた腹痛は生理痛だった

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上杉謙信は毎月10日前後に腹痛が起こり、部屋に閉じこもっていたと言われていますが、これは生理だったのではと考えられています。

外国人の報告書では上杉謙信は「叔母」と表記されている

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外国人が記した報告書の中では上杉謙信は「叔母」とひょうきされていました。

上杉謙信女説を唱えたのは、作家の八切止夫氏です。
氏の説によれば、スペインで発見されたゴンザレスという人物がフェリペ2世に宛てた報告書の中で「上杉景勝は叔母が開発した佐渡の金を持っている」と記しているということでした。
景勝は謙信の姉の子で、謙信に他に姉妹はなく、文中の叔母というのが謙信に当たるのではないかというのです。

普通、外国人が上杉謙信を男と判断したのなら、叔母とは書かないはずですよね。

上杉謙信の趣味が女性的だった

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謙信は源氏物語や伊勢物語といった恋愛ものを好んで読んでいたと伝わっています。
歌会では達者な恋歌を披露したとも言われています。筆跡も女性的だったそうですが、そういうところを女性に直結するのはいささか早計に過ぎるかもしれません。ただ、女性的な嗜好があったのでしょうね。

上杉謙信は、今風に言うと少女漫画好きだったんですね。(源氏物語や伊勢物語は漫画ではありませんが、、、)

あまり、恋愛モノって男は読まないですよね。

また、上杉謙信は恋愛ソングも歌っていたんですね。

戦場で戦う上杉謙信のイメージとはかけ離れていますね。

筆跡が女性的ということは丸文字みたいな感じだったんでしょうか。

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ハートマークとかゆるキャラとかめっちゃデコってたらおもしろそうですね(笑)

上杉謙信の「塩」や「義」の名言は?

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自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたと謙信は「義」を重んじた人格者としても知られ、上越市ゆかりの人物として今なお敬愛する歴史ファンも多い。
表向きは淡々と物事を決断する冷静沈着な男であるが、その反面、義理や人情を大切にする人間味あふれる一面もあった謙信。

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上杉謙信は、普段は隣国に救援を求められると、躊躇なく助けに行ったりと「義」を重んじる武将でした。

味方は大事にするが、敵には徹底して非常な武田信玄とは対照的な性格ですね。

→【関連記事】武田信玄の名言まとめ!人は城・一生懸命だと・風林火山・為せば成る

上杉謙信の名言について紹介していきます。

上杉謙信の名言①:敵に塩を送る

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塩を以て敵を屈せしむることをせじ

「敵に塩を送る」という言葉は有名ですね。

武田信玄が三国同盟を破ったことで塩の供給が止まってしまったときに、ライバルであるはずの上杉謙信が武田信玄に塩を送ったという逸話があります。

上杉謙信の名言②:義とは・・・

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義とは、人が人としてあることの美しさよ。

日本人の心とも言えるカッコイイ言葉ですね。

「義」とは義理人情の義のことです。

当たり前のことだと思うかもしれませんが、今の時代も、戦国時代同様に不義な世の中なので、義を持って人と接することはなかなか難しいことです。

それでも、どんな人であっても対等に義の心で接していきたいですね。

上杉謙信は「義」に関する名言が多くあり、「人の落ち目を見て攻め取るは本意ならぬことなり」とも言っています。

上杉謙信の名言③:いつも敵を掌中に入れて合戦すべし、疵つくことなし

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いつも敵を掌中に入れて合戦すべし、疵つくことなし

「常に敵の情報収集をして、敵のことをよく知った状態で合戦をすれば、負けて傷つくことはない」という内容です。

上杉謙信が居城である春日山の城内の壁に掲げたとされています。

上杉謙信の辞世の句は?

上杉謙信には2つの辞世の句があります。

※厳密に言うと、晩年に読まれただけなので、辞世の句ではないという人もいます。。。

四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒

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49年の自分の生涯は一睡の夢に過ぎなかった。この世の栄華は一杯の酒に等しい。という意味です。

自分の一生の短さを夢と一杯の酒に例えていますね。

すごく儚い句ですが、もう一つの句はある意味ポジティブな句です。

極楽も地獄も先は有明の月の心にかかる雲なし

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極楽、地獄どっちに行くのか分からないが、私の心は雲のかかっていない月のようでとても晴れやかである。という意味です。

あの世で自分はどうなるか分からないけれど、私の心は雲のかかっていない月のようで、とても晴れやかである。という意味です。

これは私の解釈ですが、「雲なし=苦もなし」という意味で、極楽・地獄どちらに行っても苦しみや後悔はまったくない、と謙信が言っているのではないかと思いました。

自分の「議」を信じ、今を一生懸命に生きた謙信だからこそ、言えた言葉だったのではないかと思います

人生やり切った、もう悔いはない。」っ感じですね。

上杉謙信は敵も味方関係なく、義を大切にし、戦国時代には珍しく人助けをする人でした。

上杉謙信らしい句ですね。

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それではHave a nice day!!

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