斎藤道三の家紋は?最期は息子に討たれる?元々は油売り?名言は?

斎藤道三の家紋や息子は?最期は息子に討たれる?

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斎藤道三の家紋は「二波波紋」です。

読み方は「にとうなみもん」です。

見ての通り、波の絵が描かれおり、現在だとインスタ映えしそうなくらいにお洒落ですね(笑)

斉藤家は元々は、別の家紋をしようしていたといわれています。

斎藤道三が当時美濃を統治していた斉藤家を討ち、美濃城の城主となったときに「二頭波紋」に変えました。

波は力強さの表れということもあり、斎藤道三は好んで「二頭波紋」を使うようになったそうです。

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主君を次々に討ち、力をつけていった斎藤道三はこの世は力こそが全てと思っていたのかもしれません。

しかし、最終的に斎藤道三は自身の息子である義龍(よしたつ)に討たれています。

下剋上を繰り返していた斎藤道三ですが、まさか自身の最期が息子による下克上だとは夢にも思わなかったでしょうね。

斎藤道三は元々は油売り?名言は?

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斎藤道三は元々は僧侶、次が油商人、そして一国一城の主という大出世を遂げた人物です。

しかし、その人生を見てみると、日本のダークヒーローと言えそうです。

斎藤道三は北条早雲、松永久秀とともに「戦国の三大梟雄」と言われていますね。

梟雄(きょうゆう)とは残忍で強い人物と言う意味です。

悪人だったということですね(笑)

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斎藤道三が梟雄と言われる理由は次々と主君を襲って、下剋上を果たし、力をつけていきました。

時には、主君の妻を奪い取ったりしています。

今風に言うと、NTR(寝取られ)しちゃってるんですね(笑)

※これについては後で話します。

そんな斎藤道三についたあだ名は「美濃(みの)のまむし」。

冷徹で執念深い性格のために「まむし」に例えられたようです。

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「まむし」の画像検索結果

まむしって毒を持ってますし、粘着質なイメージがありますもんね(笑)

「山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」

この名言は自分の娘を嫁がせた信長に相対した後に家臣に語った一言。

この名言の意味は簡単に言うと「ウチの一族はみんな信長の所の部下になる」と言うものであり、信長の実力を斉藤道三が見抜いたことを意味する名言です。

斎藤道三はダークヒーローではありますが、何でもできるタイプの人間で特に人を見る目は凄かったとされています。

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実際、齋藤家は斎藤道三の孫の代で織田信長によって、終わってしまいました。

今でこそ、織田信長は日本の歴史の中でも超メジャーで、有能な人物とされています。

当時は「尾張のうつけ者」と言われる程、手の付けられないクソガキ扱いされていて、誰も織田信長を評価していませんでした。

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→【関連記事】織田信長の家紋・旗の意味や由来は?きゅうり?足利義昭との関係は?

性格はゴミクズでしたが、観察力・洞察力は神レベルだったんですね(笑)

「虎を猫と見誤るとはワシの眼も老いたわ。しかし当面、斉藤家は安泰」

この名言は斉藤道三が統治した時代の末期に彼がこぼしたとされる名言。

1556年、息子である斉藤義龍が土岐家に恩のあった家臣達や権力者達の支持を受け、斉藤道三に対してクーデターを実行。

斎藤道三の生涯は63歳で幕を閉じます。

実の息子である齋藤義龍に討ち取られてしまうんですね。

人を見る目がすごかった斎藤道三ですが、老いには勝てず、見誤ってしまったようです。

斎藤道三は、元々の主君土岐頼芸(ときよりなり)である妻深芳野(みよしの)を奪い取ったのですが、そのとき、既に深芳野は、齋藤義龍を孕んでいたんですね。

つまり、斎藤道三と齋藤義龍は血がつながっていません。

そのため、斎藤道三は自身の息子たちだけを寵愛したんですね。

しかも、本来であれば跡継ぎは義龍のはずですが、斎藤道三は自身の息子たちを跡継ぎにしようと企てていました。

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しかし、その計画は義龍にバレてしまします。

元々斎藤道三を恨んでいた義龍は斎藤道三の息子たちを討ち取り、その後斎藤道三も討ち取ってしまいます。

人の恨みは怖いですね。。

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それではHave a nice day!!

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