江戸時代の庶民・農民・武士・大名の食事やその回数は?肉や米?

江戸時代の庶民・農民・武士・大名の食事やその回数は?肉や米?

江戸時代になる前と江戸時代の初期の頃は1日2食の食事が主流でした。

ランチタイムはなく、「あさげ」と「ゆうげ」しかありませんでした。

※あさげ=朝ごはん、ゆうげ=晩御飯

江戸時代に初めて1日3食になったのですが、そのきっかけは1657年3月2日~4日まで続いた明暦の大火(振袖火事/日酉火事/丸山火事)です。

元々、江戸時代は火事が多く、消防士もいました。

今でも「火事と喧嘩江戸の華」という言葉が残っていますよね!

この時の火事はとりわけひどく江戸時代最大の大火事でした。

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明暦の大火で少なくとも3万人、最大で10万人が犠牲になったと言われています。

50年かけて、作ってきた江戸の町で多くの建物が焼けてしまったので、幕府は大急ぎで再建を目指します。

その時に、多くの大工が雇用されました。

大工たちは朝から晩まで働くわけですから、朝ごはんと晩ごはんだけでは体力が持ちません。

そこで、浅草寺の門前で、「奈良茶飯」という定食を出し始めたところ、飛ぶように売れていきました。

それまで昼ごはんは食べたい場合は自宅に帰って食べると言うものでしたが、家に帰らずとも食べられる手軽さが大工たちのニーズが合い、大ヒットしたんですね。

江戸食文化は江戸の男性がいかに充実した食生活を送れるかという点で発展していきました。

江戸時代の庶民の食事

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江戸時代の男性の1日の米の消費量は平均5合でした。

1合=160gなので、5合=800gなので、結構多めですね。

それだけ、重労働だったということですね。

1日5合炊いた後は棒手振(ぼてふり)と言われる行商人からおかずを買って食べるというパターンが多かったです。

おかずは、魚や納豆やみそ汁や漬物と言うものが主でした。

みそ汁は当時からお湯かければすぐ飲めるインスタントみそ汁が売られていました。

インスタントみそ汁の中で多かったのが「たたき納豆」です。

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たたき納豆の内容は以下のとおりです。

叩き潰した納豆と青菜等の薬味、豆腐を混ぜ合わせたものです。
そこにお湯や具なしの味噌汁を注いで即席の納豆汁として食べられていました。

当時納豆はごはんよりも汁物として食べるほうが一般的だったのです。

このたたき納豆は現在のインスタント商品の始まりと言われています。

昼ごはんは、おにぎりを持参していく人が多かったです。

おにぎりだけでは足りないと言う場合は屋台から「イカ焼き」「てんぷら」などを買って食べていました。

晩ごはんは、残ったご飯にお茶をかけてお茶漬けにして食べることが多く、軽い食事だったようです。

江戸時代には、晩酌、夜食を食べると言う人もいて、その際には「四文屋(しもんや)」という屋台からお惣菜を買って、酒のアテにしていました。

四文は今で言うと、だいたい100円くらいの価値です。

以上が庶民のごはんですが、内容もヘルシーですし、夜は控えめに食べるというのは現代でも体に良いこととされていますね。

江戸時代の農民の食事

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江戸時代の農民は米を作っていたのですが、年貢で作った米のほとんどを持っていかれてしまうので、自分たちは米を食べていませんでした。

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江戸時代の農民は、お米に雑穀を混ぜた「かて飯」を食べた。

少ないお米に稗(ひえ)などの雑穀や大根、芋がら(里芋の茎を干したもの)、サツマイモなどの野菜を入れたものです。

残っている資料によると、ある農民の1日の食事は、朝はご飯の残りを小麦粉と混ぜて焼いたお餅、昼は雑炊、夜は粉団子汁というものでした。

基本的に江戸という都会に暮らす人たちと、地方に暮らす農民では流通している食材も違うので食生活は異なります。白米でお腹いっぱいにする都市部の庶民とは違い、植物の茎や山菜、豆類に至るまで、食べられるものはすべて使って食事を作りました。

食べられるものは全部食うってっ感じだったんですね。

重労働な農民にとってはあまりにもヘルシーな食事ですね。

江戸の庶民、町人よりも農民たちの生活は苦しいものだったと言えますね。

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白い米が食べられるのは村の祭りなどの特別なイベントの際だけでした。

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江戸時代には女衒(ぜげん)という農民の家などを回って美人な女の子を引き取りに行く商人がいました。

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貧しくて、娘を手放さざるを得ない貧しい農民の家では、女衒に連れていくのが嫌だと泣く娘に対して「江戸に行けば白いおまんまが毎日お腹いっぱい食べられるよ」というのが常套句となっていました。

このことから、農民にとって白米をお腹いっぱい食べるということは夢のような生活だったということが分かりますね。

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江戸時代に描かれた『幕末百話』という本の一部に当時の丁稚の食事について触れられている箇所があり、

朝は365日毎日みそ汁だけ。昼は安い日に限って魚がつくことがあり、夜は漬物だけだった」と書かれてあります。

商家の丁稚たちは米と漬物とみそ汁ばかり食べていたようです。

塩分過多になりそうですね(笑)

現代は夕食時は仕事や学校が終わり、ゆっくりご飯を食べるため、1日の中で1番豪華な食事が出ますね。

しかし、江戸時代は夜になると、灯りもなくなることもあって、質素なご飯を食べた後、すぐに就寝していたようです。

江戸時代の武士の食事

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武士といってもその給料によって、食事のレベルは様々でした。

下級の武士は肉や魚を食べることは少なく、ほぼ毎日米と野菜中心の生活でした。

ガチの野生生活ですね(笑)

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下級武士や庶民で白米しか食べない人が多く、ビタミンB1不足のために脚気(かっけ)になる人が大勢いました。

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当時は原因が分からず、江戸の奇病と言われていました。

因みに、農民は江戸の町民よりも質素な食生活でしたが、白米を食べられなかったので、脚気になる人はあまりいませんでした。

江戸時代の大名の食事

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江戸時代の大名たちは自身の敷地内におおきな農園を持っており、食事には困りませんでした。

江戸時代の徳川将軍の食事はこんな感じでした。

将軍の朝食は、二の膳まで付き、まず一の膳には、飯、汁、刺し身と酢の物などの向こう付け、平(煮物)が乗っていた。二の膳は、吸い物と焼き物だ。二の膳の焼き物は、キスの塩焼きに付け焼きの二種と決まっていた。

キスは「鱚」(喜ばしい魚)と書くところから、縁起のいい魚とされていたのだ。ただそれだけの理由で、将軍はほとんど毎朝、キスを食べなければならなかった。ただし、毎月一日、十五日、二八日には、キスの代わりに、タイやヒラメの尾頭つきがついた。将軍の昼食も、二の膳つきだ。魚は、タイやヒラメ、カレイ、カツオなどが付く。ほかに、将軍の所望する献立も出てくる。

さすが、将軍のご飯だけあってかなり豪華ですね。

現在の日本の一般家庭と比べてみ豪華な食事ですね(笑)

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それではHave a nice day!!

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