伊達政宗の逸話!目に眼帯をしている理由と性格・兜について!

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独眼竜」の異名で知られる伊達政宗は派手な三日月を冠した兜を身に着けていることで有名ですね。

そのほかにも豊臣秀吉に謀反の疑いをかけられたときに大きな十字架を背負い白装束で秀吉の前でに現れ、謀反の疑いが晴れたことがあります。

伊達政宗は独創的な派手なパフォーマンスすることで知られています。

伊達政宗の目に眼帯をしている理由と逸話!

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伊達政宗と言えば、右目が見えない為に眼帯をしていることは有名ですね。

伊達政宗の右目が見えなくなったのは、幼少期に天然痘にかかってしまったからです。

天然痘自体は治りましたが、右目は失明してしまいました。

伊達政宗は子供時代に右目が見えないことがコンプレックスで部屋に引きごもりがちの生活でした。

しかし、そんな伊達政宗は6歳の時に教育係の「虎哉宗乙(こさいそういつ)」に出会い、自身のコンプレックスを克服します。

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虎哉宗乙の教育はかなり変わった教育方法で、伊達政宗に「へそ曲がりになりなさい。暑いときには寒いと言い、腹が減ったら、満腹と言いなさい」と日頃から言っていました。

伊達政宗の父親輝宗(てるむね)は虎哉宗乙に対してなぜ「へそ曲がり」になれたと言ったのかと問いただします。

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虎哉宗乙は以下のように話します。

暑いときにこそ寒いといって、余計に重い鎧を身につけてみせるような将軍を見れば、家臣は並みの将軍ではないと尊敬するものです。

つまり、伊達政宗には「大将としての心構え」を教えていたんですね。

これ以降、伊達輝宗は一切虎哉宗乙の教育に口を出さなくなりました。

時は流れ、伊達政宗が18歳で、将軍となったときに、かつて伊達家裏切ったことのあるいわくつきの武将「大内定綱」が「もう一度仲間にして欲しい」と尋ねに来たことがありました。

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勿論、家臣たちは「大内は、危険ですぞ」と忠告しましたが、伊達政宗はあえて大内定綱を召し抱えることにしました。

その後、大内定綱は家臣の考え通り、裏切り、伊達氏と敵対していた畠山氏に寝返ります。

これを知った家臣たちは伊達政宗に不信感を覚えます。

その時に伊達政宗は「これで、大内氏と戦う大義名分が出来たぞ」と話しました。

つまり、伊達政宗は大内定綱が初めから裏切ることを知りながら、仲間に引き入れたんですね。

これ以降、伊達政宗は家臣からの絶大な信頼を得て、大内氏とその一族を滅亡させ「東北の覇者」となることができました。

伊達政宗は「へそ曲がり」な性格に教育されたことで、周りと違ったと思考で人生を切り開いていったんですね。

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それではHave a nice day!!

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